Sahara's WebLog

日記のような、備忘録のような、うらみつらみのような、自慢のような…。

「はやぶさ」が最後に見たもの

以前「はやぶさ」にロマンを感じることが出来ない人の存在を憂えた。
7年間、60億kmの旅を終えて、その「はやぶさ」が帰って来た。
地球に戻って来て、また地球の一部になった。
「地球に返った」ということだ。

「燃え尽きる」という運命がなんだかかわいそうな気がしたが、
燃え尽きてしまった今、「地球に返ったんだから良し」とも思う。
どこかに展示されて、マスコミに利用されて、その価値を下げるよりは、
大和魂よろしく、「儚く散った」のは意外に良かったのかもと思う。
そう思うこと自体が、「はやぶさ」を擬人化し、どっぷり感情移入してしまった人間のエゴかもしれないが。

結局、ニコニコ動画のライブは、一般会員なので一瞬も見られず。期待したNASAもどういうわけか、ぴくりともつながらず、一番期待していなかった(失礼)和歌山大学の中継を、5分ほどの遅延はあったものの、ほぼライブ状態で観ることができた。

和歌山大学のクルーに、心からGJ。

私の知る限り、生中継したマスコミは1つも無かった。
無かったが、その方が良かったと思った。
NHKあたりが大げさな中継をやって、ハイビジョン映像を送ってきたとしても、感動の程度はあまり変わらなかったと思う。
和歌山大学のクルーの伝えた「素人的な」臨場感に勝るものを、単なる商人と化した今のマスコミに伝えられるとは思えない。

そして、最後に、本当にぎりぎりに、「はやぶさ」が送ってきた地球の写真がこれだ。

これは、反則だよ「はやぶさ」と思いながら、また涙が出た。

こんなに切ない地球の写真って、今まで見たことがない。
切ないが、まるでキャパの戦場写真のような域に達していて、「芸術か?」と、ほろりとしながら突っ込みを入れてしまった。
フルカラーの、一点のノイズも無い、美しい映像よりも、ブレブレの白黒写真の方が、時に雄弁なのはキャパの例で実証済なのだが、「はやぶさ」の最後の一枚も、期せずしてそうなった。
本当に、最後の最後まで泣かせてくれる。

ここまで、擬人化、感情移入のできる自分が、何か好きだ。

あ、それと、
「これからも技術立国で行くんだろ?
んなら、もっと大々的にやって、子供に感動を与えろよ。」

って、誰に言ってんの?

このエントリーをはてなブックマークに追加

Posted under: 自然科学・科学技術


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.