Sahara's WebLog

日記のような、備忘録のような、うらみつらみのような、自慢のような…。

その放送局に何かを伝えたいという信念はあるか

結局、そのメディアに「これを伝えたい」という信念があるのか、あるいはただ漫然とコンテンツを垂れ流しているだけなのか、これが対応の仕方の違いとしてあらわれた。
信念の無い者はまわりに媚び、周囲の反応に怯え、その結果、自身の存在価値の欠如を自ら世に知らしめることとなる。

え、何のこと?

上原美優という女性タレントが自ら命を絶って、その生前の出演番組が放送された際の対応に放送局によって大きく違いがあった件だ。

一言書いておくと、上原美優というタレントは好きだった。かわいらしかったし、とにかく元気だったからだ。
芸人相手におもいっきり頭突きをくらわすシーンが頭に浮かんで、亡くなった今でさえほほえましい感じがよぎる。
ただ、私は人が自分で自分の命を絶つという行為を許容できないので、その点に関しては否定的で、とにかく残念なことだとしか言えない。
ただただ冥福を祈るしかない。

さて、話はそういう人の生き様に関連するような深い話ではない。
最近のマスコミに伝える者としての信念はあるかということだ。

日本テレビはこのような扱いをした。



TBSではこのような扱いをした。


違いは何か。
TBSが出した番組終了時のテロップが全てを物語ると思う。
自然のすばらしさを伝えようとするのがこの番組の目的であり信念であるから、それを体現するべく登場する出演者自体の個人的な問題をとやかくいう必要はないのだ。
して、そのような信念のない日本テレビの番組は、こそこそとカットし、ぼかし、隠蔽しようとする姿が見え隠れして哀れだ。
片や科学番組を標榜し、片や純然たるお笑いバラエティーであるからこのような違いが出たとは思わない。日本テレビが、自らの発信する笑いやバラエティーを主体とする番組に何の信念も持っていないことが露呈したことが問題だからだ。
芸人に混じって元気に活躍する姿を、なぜ堂々と放映できないか、自らの放つ番組になぜ自信を持てないか。そんな放送局が、さて報道ならまともなものを放送できると誰が思うのか。

よくよく考えたら、日本テレビって読売さんだったな。
あの、計画停電の最中に東京ドームでナイターやって何が悪いって開き直った読売さん。
しょせんその程度の組織だったか。

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Posted under: マスコミ


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