辻畑古墳:道路建設用地、消える運命--沼津・最古級 /静岡
◇市文化振興課「データはしっかり残す」邪馬台国の女王卑弥呼と同時代の3世紀前半に造営された可能性が浮上した沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)の「辻畑古墳」。市街地で遺構の大半が残っていたことに関係者からは「奇跡だ」との声も上がった。しかし遺構は幹線道路の計画ルートの真ん中にあり、いずれ消えてしまうことになる。
発掘のきっかけは東名高速沼津インターチェンジと国道1号を行き来する車両の渋滞を緩和する都市計画道路(市道)沼津南一色線の建設に伴い、道路用地内の埋蔵文化財の有無を調べるためだった。市教委が05、07年に試掘調査、道路用地として市が買収した高尾山穂見神社の高台を古墳の遺構と特定した。
市教委は昨年9月から発掘調査を始め、「前方後方墳」(南北約62メートル、東西約32メートル)と判明。土器などから弥生時代後期の埋葬形態を残す古墳と判断した。遺物は鉄の矢じりなどコンテナ30箱分に上り、11月末をめどに調査を終える。
遺構は消滅する運命だ。国道1号と東海道新幹線に挟まれ、計画中の市道は新幹線をくぐる形で1961年に都市計画決定済み。市は10~11年度中に古墳を撤去して道路を建設する予定だ。発掘調査の責任者で文化振興課の高尾好之文化財調査係長は「遺構はなくなるが、しっかりデータは残す」と説明する。
調査を指導する赤塚次郎・愛知県埋蔵文化財センター調査課長は「邪馬台国の時代にも東海から東で独自の文化が形成されていたことは分かってきている。古墳の位置は愛鷹山麓(さんろく)から見下ろし、駿河湾の(入江の)最も深いところ。豊かな湿地帯で人の流れが活発だったとみられることを証明する貴重な史料になる」と話す。
市教委は13日午前10時、午後1時半の2回、発掘調査の成果を発表する現地説明会を開く。問い合わせは文化財センター(055・952・0844)。【安味伸一、平林由梨】
以上、毎日新聞 2009年9月8日 地方版 より
>邪馬台国の女王卑弥呼と同時代の3世紀前半に造営された可能性が浮上した
>計画中の市道は新幹線をくぐる形で1961年に都市計画決定済み
かれこれ50年も前の都市計画で決めた路線にこだわって3世紀前半の遺跡が潰されるわけだね。
さすがは、ろくに下水道も完備していないくせに、
いまどき「鉄道高架化」を推進しようとしている「ど田舎」沼津市の考えそうなことだ。
誤解を避けるために書いておくが、ここでいう「田舎」とは「過去のしがらみに捕われて目の前の現象を見極めることができない、あるいは見極めようとしない人たちの多い地域」のことだ。
したがって、これも誤解を恐れずに書けば、東北の過疎の村にも「都会」は存在し、東京の都心にも「田舎」は存在する。
少なくとも沼津という町は「田舎」に間違いない。
まともなヤツ(?)なら、「奇跡の!」とか「最古の!」とかいうキャッチフレーズで大々的に宣伝して、町おこしに一役買わせたりするんだろうけど、そんな発想は「田舎」では決して思いつきません。
ただ、粛々と50年前に決めたとおりに仕事をこなします。