燕雀安知鴻鵠之志哉
えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや
ツバメやスズメのような小鳥に、どうして大鳥の心がわかろうか。
言いたい事はよく分かるが、ひとつだけ問題点がある。
これを引用している本人がはたして本当に「鴻鵠」なのかということ。
「燕雀」がこれをほざくと滑稽を通り越して「痛い」。
知之為知之、不知為不知、是知也。
これをしるをこれをしるとなし、しらざるをしらずとなす、これしるなり。
自分が知っていることを知っていることとし、知らないことは知らないこととする、これが知るということである。
こちらは普遍的だ。
たとえ私のような根っからの「燕雀」がほざいても良い。
ま、知らない自慢になっちゃう可能性も捨て切れないけどね。