Sahara's WebLog

日記のような、備忘録のような、うらみつらみのような、自慢のような…。

蕎麦湯 – 未知の物はとりあえず否定するという好奇心の欠如 –

sobayu
話題になっているようなので書く。
あ、上は「蕎麦湯」で検索して出てくる画像一覧のキャプチャだ。
ま、そういうものがこの世に存在するという事実は誰も否定できないだろう。

「そばの茹で汁を平気で飲む彼氏」

というタイトルで、内容は、

「育ってきた環境の違いなのか、そばの茹で汁を飲む人をはじめてみた。そば湯だからと言うのだけど、茹で汁ごときを健康に良いといって平然と飲む姿を受け入れられそうにない。」

というものらしい。
これ自体が引用で、ソースそのものには当たってないので、その点は断っておく。

いろいろ議論されているようだが、蕎麦湯を知っているか知らないか、その習慣があるかないかは問題ではない。
その背景や意味や効果や効能の有無も問題ではない。
問題は、この人の好奇心の無さだ。
知らないなら知ろうとし、習慣はないけど試してみる。
その上で判断し、否定するなら否定すればいい。
そのための情報収集の手順が欠ける人間に進歩はない。
人としての最大の価値を自分で否定していると言っても過言ではない。
ピカード艦長なら、知的生命体ではないと判断して無視するレベルだ。
「はじめてみた」にもかかわらず「受け入れられそうにない」と結論づける幼稚な思考回路。
飲みもせずに「茹で汁ごとき」と切り捨てるうかつさ。
およそ知能を持った生き物の仲間だと勘違いしてほしくない存在だ。

彼氏には心からおめでとうと言いたい。
自分から馬脚をあらわしてくれたのだから、感謝しつつ別れよう。
好奇心を持たない人間は、自分と違う人格を認めることも出来ないから、他人と上手に付き合えない。
きっと不幸になるに違いない。
よかったよかった。

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Posted under: 生活, 社会


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