鉢呂経済産業大臣の辞任会見での記者の暴言部分の抜粋をお聞きいただこう。
こういう連中の書いた記事を通じてわれわれ国民はいろんなことをニュースとして知るということを続けてきたわけだ。
政治家がバカだったり、官僚が姑息だったり、経済界が破廉恥だったり、学者が無能だったり、世界情勢がこうだったり、周辺諸国との緊張関係がああだったり。
それを、国民に正しく伝えるのがマスコミのマスコミたる所以であった。
ところが、実はそれを伝える者が一番腐っているのだ。
実はやつらが一番腐っているような予感は薄々持っていた。
それは、毎日届く新聞を読んでいればいやおうなしに気づく。
記事の文章のレベルの低下や内容の希薄さから想像に安いことでもあった。
だが、この動画を見せられると、それまで想像の範疇にあったものが、一気に現実のものなんだと思い知らされる。
毎日毎日、何らかのかたちで水道の水を飲む。
コップや流しや手ややかんの清潔に気を配りながら飲む。
だが、その水道の貯水タンク自体がすでに腐っているのだ。
きれいな水を飲める可能性は皆無に近い。
政治家がバカだったり、官僚が姑息だったり、経済界が破廉恥だったり、学者が無能だったり、世界情勢がこうだったり、周辺諸国との緊張関係がああだったり。
これを伝える者自身が腐っている。
どおやって、政治家がバカだったり、官僚が姑息だったり、経済界が破廉恥だったり、学者が無能だったり、世界情勢がこうだったり、周辺諸国との緊張関係がああだったりを知ればいいのだろうか。
テレビのニュースは見ていないが、果たしてこの破廉恥さを放映した局はあったろうか。
ニコニコ動画で生中継したから実態が明らかになったが、もしそうでなかったら、というか、そうでなかった今まではずっと、伝え手たるマスコミの腐敗自体はずっと隠蔽され続けていたのだ。
そして、腐ったタンクから吐き出される水を飲んで、国民は自らの愚かさに気づくチャンスさえ奪われ続けてきたのだ。
「かつては、何がニュースで、何がそうではないかを判断できるのは一握りの編集者だけで、彼らは一種の神のように振る舞っていた。彼らが記事を掲載すれば、それがニュースになり、彼らが出来事を無視すれば、その出来事はそもそも起こらなかったことになる。今では、編集者はこのような力を失いつつある。たとえば、インターネットでは、編集者が無視したかもしれない出来事に関する多くの情報源にアクセスできる。そして、それに満足できなければ、自分のブログを立ち上げて、自分でそのニュースを取り上げ、コメントすることができる。ジャーナリストは、自身は番人であると思いがちだが、一般の人々が彼らに説明を求めても、必ずしもきちんと対応してきたとは限らない」(Murdoch氏)
腐ったマスゴミ、いらない。
Tweet