福島の原発事故に対する隠蔽体質と記者クラブのせいで、日本における報道の自由に対して「国境なき記者団」が危機感を持っている。
Nexus7—>「Googleのタブレット『Nexus 7』は売れそうにない。少なくとも日本では」(大西宏)—>「メディア・ショック – 日本の報道評価ガタ落ち」(同)
という順で、日本の報道機関が世界でどう見られているかという問題にたどり着いたので書いておく。
ちなみに、大西氏の恥ずかしい方の記事はもう削除されたようで、元記事には行き当たらなかった(魚拓はとられていたけど)。
フライングまでしてAppleに媚を売らなけりゃいいものを、他の記事はそこそこまともなのに、ITがらみというか、Appleがらみというか、この大西という人はそういう方面では眉につばのつきそうな記事が多い。
そういう私はApple製品は今までの人生で1度も購入したことが無いわけで、使ってもいないのだから自分はあの会社についてどうこう言う立場には無い、というスタンスだ。
現実問題として、Macで自作ということは考えられないわけで(あるのかも知れないが知らない。)、私の中にはMacかPCかという比較がそもそも微塵も存在しない。
自由度の無いシステムは私にとってはその時点で価値が無いからだ。
そういう意味で、Appleさんとのお付き合いの可能性は、現時点では無い。
その話はまあいい。
肝心なのは、世界報道自由ランキング (Worldwide press freedom index) が急落した件(魚拓)だ。
2点、理由が挙げられている。
Japan (53rd, -31) has been affected by a lack of transparency and almost zero respect for access to information on subjects directly or indirectly related to Fukushima. This sharp fall should sound an alarm.
Japan (53rd, -31) plummeted because of censorship of nuclear industry coverage and its failure to reform the “kisha club” system. This is an alarming fall for a country that usually has a good ranking.
つまり、簡単に書くと、福島の原発事故関連の情報の透明性の問題と記者クラブの問題だ。
柔道の暴力問題も恥ずかしかったが、この件はもっと恥ずかしい。
つまり、日本という国の未熟さが指摘されているわけだ。
特に記者クラブの問題は、知れば知るほど、日本の民主主義の遅れは未熟で独善的で閉鎖的な、つまり腐った報道機関に原因があると考えてほぼ間違いないと思えるくらいの恥ずかしさだ。
最低でも複数の報道機関からの情報を比較してその違いに気をつけながらニュースを得るべきであり、仮にどれも同じような内容の場合は、「ああ、また手抜き取材だな。」と思うべきである。
結果として、ほとんどが「手抜き」どころか独自の取材すらされていない情報の垂れ流しであり、日本でいう「報道」とは単なる「伝達」に過ぎないことに気づくはずだ。
つまり、取材能力の欠如である。
しかも、ただの垂れ流しでさえ、それが正しく「伝達」されているかどうか怪しい。
無能なゆえの垂れ流しなのか、怠慢なゆえの垂れ流しなのか知らないが、垂れ流しを良しとしている時点で流した者を疑うには十分だ。
もう一度これを引用しておこう。
MySpaceやWall Street Journalなどを傘下に収めるNews Corp.の会長兼最高経営責任者(CEO)であるMurdoch氏の言葉だ。
「かつては、何がニュースで、何がそうではないかを判断できるのは一握りの編集者だけで、彼らは一種の神のように振る舞っていた。彼らが記事を掲載すれば、それがニュースになり、彼らが出来事を無視すれば、その出来事はそもそも起こらなかったことになる。今では、編集者はこのような力を失いつつある。たとえば、インターネットでは、編集者が無視したかもしれない出来事に関する多くの情報源にアクセスできる。そして、それに満足できなければ、自分のブログを立ち上げて、自分でそのニュースを取り上げ、コメントすることができる。ジャーナリストは、自身は番人であると思いがちだが、一般の人々が彼らに説明を求めても、必ずしもきちんと対応してきたとは限らない。」
このような正常な危機感を日本のマスコミは持っているだろうか。